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徒然なるままに・・

PCの遍歴-1

よくまあ次々と作ったなぁ

月並みですが、小生のPC遍歴をお届けします。

時代の先端を走るとか、グリグリゲームにはまるとかではなく、性能・機能にこだわりはなく、適度に動けば良いと言うのが信条です。
会社に入った頃に、「ワンボード・マイコン」花盛りとなり、秋葉のBitinなどを見て回りました。
眺めつつも手を出すことなく、過ぎていきました。
次に来たのが、「8bit Basicマシン」です。日立のBasicMaster、FUJITSUのFM-7、PET、Comodole、AppleII、・・・
懐かしいと思うのは同年代ですネ。今人には???でしょう。

1980年1月。とうとう買ってしまいました。そうです。PC-8001。
当時、本体だけ(TVコンバータ付き)で、\168,000
17万円を持って(震えていましたけど・・・)今は無き藤沢のショップで。
デモ機にメモリを32kBに増設してくれました。
早速、ASCII とか I/O とかのマイコン雑誌の16進ダンプページのゲームプログラムを打ち込み、テレコ(カセットテープレコーダーですヨ)に記録、ローディング、起動。感動でしたね。

世の中が、PC-9801 に代表される 16bit マシンや MSX から MS-DOS マシンに変化する中、ずーと PC-8001 と遊んでいました。
5インチフロッピディスク、ワイヤドットプリンタ、専用のカラーモニタ(20万円もし、本体より高かったなぁ)
CP/M も購入。CP/M で MS-DOS コマンドに慣れたのでした。
ゲームプログラムを打ち込むためにマイコン雑誌は毎月2-3冊。なんやかやでこの PC-8001君に100万円はつぎ込んだと思います。(x_x);
これが、小生のPCとの長い付合いの始まりでした。
PC-8001君は今はお休み中です。

結婚して子供もでき、次に手に入れたのが、富士通のオールインワン型PC。当時はやりのスタイルでした。
カミサンにおねだりして展示品を \120,000で。
Win95、Pen.-100MHz、HDD-800MB、メモリ24MB、56kモデム、14インチCRTの一体型でした。重かった。
インターネットを始めたのもこれから。56kアナログモデム接続。テレほーだいを使うことなく、チョビチョビと。
プロパイダは、接続料金の安さで ”αネット”さんを使用。
無料接続のライブドア(Livedoor)さんとの付合いもこの頃から。
さすがに、Pen.-100MHzにこらえきれず、Sofmapさんで見つけた ODP(220MHz)に乗せ替え。むりくり Win98se に。
(FUJITSUユーザは手を入れずにおれないと、どっかの掲示板で見た。地で行った感じ)

世の中が、「ジョージが街にやって来た」(ASCIIの特集のテーマ)時代になり、ADSL 常時接続が話題となって来ました。
住んでいたマンションは光接続(なんと言ったか忘れたが、通信路の一部が光接続)、さらに、NTT交換局から 3Km超。
仕方なしに、ISDN導入。「常時接続」は叶ったが、遅い!。子供はゲームのダウンロードで 1日半繋ぎっぱなし。
2軒先の知人から、「ADSL導入で 6Mbps しか出ないがこんなもの?」と聞かれる。チクショー。
しょうがなく、ADSL を申し込む。その前に確保しなければならないのが、メタル回線。NTT に聞けども「空きがありません。」
3~4ヶ月後に取れましたのお知らせがあり、早速、NTTフレッツADSL 24Mコースに乗り換え完了。
遅い!。2Mbpsしか出ない。「しょうがございません。ベストフォワード方式です。」と NTT の勝ち。
でも、「子供には 1,000倍速くなったぞ~」と。涙。涙。涙。

はなしは ISDN 導入前に戻り、セレロン/PenIII/PenIV の GHz機が主流になり、FUJITSU君(220MHz)が流石にとろく感じてきた。
また、カミサンにおねだりだ。
手に入れたのは、「総鉄屑」とか「クソーテック」(ゴメン)とかの悪評が高かったが、 コストパフォーマンス的にはグンバツ(これも死語かナ)の SOTEC マシン(PenIII 677MHz、メモリ128MB、HDD-30GB、CD-RW、NIC+56Kモデム、USB1.1、Win98se)
同時に、TVチューナ付き15インチ液晶ディスプレィ。当時の最高環境と肩を並べました。
SOTEC君は、よく働いてくれました。
電源がお亡くなりになりましたが、箱を替え、親戚に嫁いで行きました。購入後4年で再度のお勤めです。
液晶ディスプレィは、だだをこねたことも在りましたが、現役で頑張っています。地デジチューナー接続でベッドテレビとして活躍中です。(12年選手で頑張っています)

ISDN 導入前のおはなし。その2。
子供(二人)が PC が欲しいと言い出しました。バカヤロウ!!。
メーカー品は 20~30万円。カミサンは相手せず。
当時は、自作のほうが割安な時代。しゃーない。組むか。と相成りました。
  ・箱:\5,000
  ・メインボード:\10,000
  ・MPU(Celeron 700MHz):\10,000
  ・メモリ(128MB):\4,000
  ・HDD(30GB):\4,000
  ・CD-ROM:\3,000
  ・NIC:\1,500
  ・Win98se:\25,000
  ・KB+マウス:\1,500
  ・15インチ液晶ディスプレィ:\60,000
当時の価格。計12万円前後。もうチョットかかったかも知れない。これを2台。よくお金があったもんだ。

その後も、姉さん希望の小型PC(ベアボーン)、Sofmapさんや HARD-OFF(PCの遍歴3 紹介)で見つけた Junk PC などなど。十数台を作成(改造)する。
メインマシンも今は4代目です。

約20年間に何回となく組んだりバラシたり、学生時代の真空管ラジオ・アンプと同じ事をやってました。
お気づきと思いますが、デスクトップばかりでした。
ついに、当時、究極のノートPC、チャンドラ君の登場です。
続きは、『PC奮闘編』(PCの遍歴2)でお会いしましょう。

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