世の中が、「ジョージが街にやって来た」(ASCIIの特集のテーマ)時代になり、ADSL 常時接続が話題となって来ました。
住んでいたマンションは光接続(なんと言ったか忘れたが、通信路の一部が光接続)、さらに、NTT交換局から 3Km超。
仕方なしに、ISDN導入。「常時接続」は叶ったが、遅い!。子供はゲームのダウンロードで 1日半繋ぎっぱなし。
2軒先の知人から、「ADSL導入で 6Mbps しか出ないがこんなもの?」と聞かれる。チクショー。
しょうがなく、ADSL を申し込む。その前に確保しなければならないのが、メタル回線。NTT に聞けども「空きがありません。」
3~4ヶ月後に取れましたのお知らせがあり、早速、NTTフレッツADSL 24Mコースに乗り換え完了。
遅い!。2Mbpsしか出ない。「しょうがございません。ベストフォワード方式です。」と NTT の勝ち。
でも、「子供には 1,000倍速くなったぞ~」と。涙。涙。涙。
はなしは ISDN 導入前に戻り、セレロン/PenIII/PenIV の GHz機が主流になり、FUJITSU君(220MHz)が流石にとろく感じてきた。
また、カミサンにおねだりだ。
手に入れたのは、「総鉄屑」とか「クソーテック」(ゴメン)とかの悪評が高かったが、
コストパフォーマンス的にはグンバツ(これも死語かナ)の SOTEC マシン(PenIII 677MHz、メモリ128MB、HDD-30GB、CD-RW、NIC+56Kモデム、USB1.1、Win98se)
同時に、TVチューナ付き15インチ液晶ディスプレィ。当時の最高環境と肩を並べました。
SOTEC君は、よく働いてくれました。
電源がお亡くなりになりましたが、箱を替え、親戚に嫁いで行きました。購入後4年で再度のお勤めです。
液晶ディスプレィは、だだをこねたことも在りましたが、現役で頑張っています。地デジチューナー接続でベッドテレビとして活躍中です。(12年選手で頑張っています)
ISDN 導入前のおはなし。その2。
子供(二人)が PC が欲しいと言い出しました。バカヤロウ!!。
メーカー品は 20~30万円。カミサンは相手せず。
当時は、自作のほうが割安な時代。しゃーない。組むか。と相成りました。
・箱:\5,000
・メインボード:\10,000
・MPU(Celeron 700MHz):\10,000
・メモリ(128MB):\4,000
・HDD(30GB):\4,000
・CD-ROM:\3,000
・NIC:\1,500
・Win98se:\25,000
・KB+マウス:\1,500
・15インチ液晶ディスプレィ:\60,000
当時の価格。計12万円前後。もうチョットかかったかも知れない。これを2台。よくお金があったもんだ。
その後も、姉さん希望の小型PC(ベアボーン)、Sofmapさんや HARD-OFF(PCの遍歴3 紹介)で見つけた Junk PC などなど。十数台を作成(改造)する。
メインマシンも今は4代目です。
約20年間に何回となく組んだりバラシたり、学生時代の真空管ラジオ・アンプと同じ事をやってました。
お気づきと思いますが、デスクトップばかりでした。
ついに、当時、究極のノートPC、チャンドラ君の登場です。
続きは、『PC奮闘編』(PCの遍歴2)でお会いしましょう。 |